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  • 「遠い内側/近い外側 1」 根本真路

    ¥3,300

    遠い内側/近い外側 1 The Distant Within, the Near Without-1 2026年 わら半紙 420×297mm エディション/20枚 「見る」について。 人は、見えているものを外側の世界だと思っている。しかし視界の中には、外の景色だけではなく、自分の眼の内側にある小さな像や揺らぎもまた映り込んでいる。外を見ているようでいて、同時に自分自身の内側を見ている。その感覚を辿るようにして制作された作品である。 根本真路は近年、自分が何を見ているのかを確かめるように制作を続けている。そこで現れたのは、幼い頃から見えていたにもかかわらず、名前を与えることのできなかった景色だった。 この作品には、見ることと触れられないこと、そのあいだにある感覚が静かに置かれている。 2026.5.6 - 7.8 彫刻家の家の玄関ギャラリー Twilight Entrance Window Gallery Project vol.5 にてご覧いただけます。

  • 「遠い内側/近い外側 2」 根本真路

    ¥3,300

    遠い内側/近い外側 2 The Distant Within, the Near Without-2 2026年 わら半紙 420×297mm エディション/20枚 「見る」について。 人は、見えているものを外側の世界だと思っている。しかし視界の中には、外の景色だけではなく、自分の眼の内側にある小さな像や揺らぎもまた映り込んでいる。外を見ているようでいて、同時に自分自身の内側を見ている。その感覚を辿るようにして制作された作品である。 根本真路は近年、自分が何を見ているのかを確かめるように制作を続けている。そこで現れたのは、幼い頃から見えていたにもかかわらず、名前を与えることのできなかった景色だった。 この作品には、見ることと触れられないこと、そのあいだにある感覚が静かに置かれている。 2026.5.6 - 7.8 彫刻家の家の玄関ギャラリー Twilight Entrance Window Gallery Project vol.5 にてご覧いただけます。

  • 「遠い内側/近い外側 3」 根本真路

    ¥3,300

    遠い内側/近い外側 3 The Distant Within, the Near Without-3 2026年 わら半紙 297×210 mm エディション/20枚 「見る」について。 人は、見えているものを外側の世界だと思っている。しかし視界の中には、外の景色だけではなく、自分の眼の内側にある小さな像や揺らぎもまた映り込んでいる。外を見ているようでいて、同時に自分自身の内側を見ている。その感覚を辿るようにして制作された作品である。 根本真路は近年、自分が何を見ているのかを確かめるように制作を続けている。そこで現れたのは、幼い頃から見えていたにもかかわらず、名前を与えることのできなかった景色だった。 この作品には、見ることと触れられないこと、そのあいだにある感覚が静かに置かれている。 2026.5.6 - 7.8 彫刻家の家の玄関ギャラリー Twilight Entrance Window Gallery Project vol.5 にてご覧いただけます。

  • 「手の際のドローイング#6」 下山健太郎

    ¥33,000

    手の際のドローイング#6 2023 糸、紙、キャンバス 29.7×21cm Artist website  http://shimoyamakentaro.com 下山健太郎のドローイングは、「置く」とか「立て掛ける」といった行為そのものが、すでに線の一部になっている。壁に掛ける前から、いや掛けなくても、絵は空間に触れはじめている。床に寄りかかり、壁に寄り添いながら、見る人の身体の近くで、じわっと空気の輪郭を変えていく。 ミシンの上糸と下糸で、表と裏の線の色が違う。ふつう隠れるはずの裏側が、もう一つの表として顔を出してくる。線は描かれるというより、布を貫通して、行って帰ってくる。その往復のあいだに、時間も視点も、少しずつズレながら重なっていく。 ロックミシンの線は、きれいに描こうとしていない。むしろ、歩いている。寄り道したり、少し速くなったり、ふっと揺れたりする、その足取りがそのまま縫い目になっている。身体のリズムがミシンに移り、ミシンの振動がまた身体に返ってくる。線はその往復のあいだに置いていかれた、通過のしるしだ。 藁半紙とキャンバスを何枚も重ねた支持体は、軽いのにどこか鈍く、厚いのにふわっとしている。その中に、線が沈んだり、少し浮いたりする。素材の層というより、時間の層、行為の層が重なっている感じがある。歩くことと縫うこと、身体と機械、表と裏が、ここでははっきり分かれずに、にじみ合っている。 だからこのドローイングには、きっぱりした表裏がない。あるのは、行ったり来たりしている動きだけだ。線はどこかを指し示すのではなく、空間の中をうろつきながら、外へ外へと開いていく。 このドローイングを手にしたとき、その人の部屋には、ひとつ余分なリズムが入り込むかもしれない。置かれた場所が少しだけ落ち着かなくなって、でもその落ち着かなさが、いつの間にかその場所の呼吸になっていく。そんなふうにして、空間がひとつ増える。

  • 「手の際のドローイング#5」 下山健太郎

    ¥23,000

    手の際のドローイング#5 2023 糸、紙、キャンバス 16×17.2cm Artist website  http://shimoyamakentaro.com 下山健太郎のドローイングは、「置く」とか「立て掛ける」といった行為そのものが、すでに線の一部になっている。壁に掛ける前から、いや掛けなくても、絵は空間に触れはじめている。床に寄りかかり、壁に寄り添いながら、見る人の身体の近くで、じわっと空気の輪郭を変えていく。 ミシンの上糸と下糸で、表と裏の線の色が違う。ふつう隠れるはずの裏側が、もう一つの表として顔を出してくる。線は描かれるというより、布を貫通して、行って帰ってくる。その往復のあいだに、時間も視点も、少しずつズレながら重なっていく。 ロックミシンの線は、きれいに描こうとしていない。むしろ、歩いている。寄り道したり、少し速くなったり、ふっと揺れたりする、その足取りがそのまま縫い目になっている。身体のリズムがミシンに移り、ミシンの振動がまた身体に返ってくる。線はその往復のあいだに置いていかれた、通過のしるしだ。 藁半紙とキャンバスを何枚も重ねた支持体は、軽いのにどこか鈍く、厚いのにふわっとしている。その中に、線が沈んだり、少し浮いたりする。素材の層というより、時間の層、行為の層が重なっている感じがある。歩くことと縫うこと、身体と機械、表と裏が、ここでははっきり分かれずに、にじみ合っている。 だからこのドローイングには、きっぱりした表裏がない。あるのは、行ったり来たりしている動きだけだ。線はどこかを指し示すのではなく、空間の中をうろつきながら、外へ外へと開いていく。 このドローイングを手にしたとき、その人の部屋には、ひとつ余分なリズムが入り込むかもしれない。置かれた場所が少しだけ落ち着かなくなって、でもその落ち着かなさが、いつの間にかその場所の呼吸になっていく。そんなふうにして、空間がひとつ増える。

  • 「手の際のドローイング#4」 下山健太郎

    ¥23,000

    手の際のドローイング#4 2023 糸、紙、キャンバス 15.7×18cm Artist website  http://shimoyamakentaro.com 下山健太郎のドローイングは、「置く」とか「立て掛ける」といった行為そのものが、すでに線の一部になっている。壁に掛ける前から、いや掛けなくても、絵は空間に触れはじめている。床に寄りかかり、壁に寄り添いながら、見る人の身体の近くで、じわっと空気の輪郭を変えていく。 ミシンの上糸と下糸で、表と裏の線の色が違う。ふつう隠れるはずの裏側が、もう一つの表として顔を出してくる。線は描かれるというより、布を貫通して、行って帰ってくる。その往復のあいだに、時間も視点も、少しずつズレながら重なっていく。 ロックミシンの線は、きれいに描こうとしていない。むしろ、歩いている。寄り道したり、少し速くなったり、ふっと揺れたりする、その足取りがそのまま縫い目になっている。身体のリズムがミシンに移り、ミシンの振動がまた身体に返ってくる。線はその往復のあいだに置いていかれた、通過のしるしだ。 藁半紙とキャンバスを何枚も重ねた支持体は、軽いのにどこか鈍く、厚いのにふわっとしている。その中に、線が沈んだり、少し浮いたりする。素材の層というより、時間の層、行為の層が重なっている感じがある。歩くことと縫うこと、身体と機械、表と裏が、ここでははっきり分かれずに、にじみ合っている。 だからこのドローイングには、きっぱりした表裏がない。あるのは、行ったり来たりしている動きだけだ。線はどこかを指し示すのではなく、空間の中をうろつきながら、外へ外へと開いていく。 このドローイングを手にしたとき、その人の部屋には、ひとつ余分なリズムが入り込むかもしれない。置かれた場所が少しだけ落ち着かなくなって、でもその落ち着かなさが、いつの間にかその場所の呼吸になっていく。そんなふうにして、空間がひとつ増える。

  • 「手の際のドローイング#3」 下山健太郎

    ¥23,000

    手の際のドローイング#3 2023 糸、紙、キャンバス 16×17.2cm Artist website  http://shimoyamakentaro.com 下山健太郎のドローイングは、「置く」とか「立て掛ける」といった行為そのものが、すでに線の一部になっている。壁に掛ける前から、いや掛けなくても、絵は空間に触れはじめている。床に寄りかかり、壁に寄り添いながら、見る人の身体の近くで、じわっと空気の輪郭を変えていく。 ミシンの上糸と下糸で、表と裏の線の色が違う。ふつう隠れるはずの裏側が、もう一つの表として顔を出してくる。線は描かれるというより、布を貫通して、行って帰ってくる。その往復のあいだに、時間も視点も、少しずつズレながら重なっていく。 ロックミシンの線は、きれいに描こうとしていない。むしろ、歩いている。寄り道したり、少し速くなったり、ふっと揺れたりする、その足取りがそのまま縫い目になっている。身体のリズムがミシンに移り、ミシンの振動がまた身体に返ってくる。線はその往復のあいだに置いていかれた、通過のしるしだ。 藁半紙とキャンバスを何枚も重ねた支持体は、軽いのにどこか鈍く、厚いのにふわっとしている。その中に、線が沈んだり、少し浮いたりする。素材の層というより、時間の層、行為の層が重なっている感じがある。歩くことと縫うこと、身体と機械、表と裏が、ここでははっきり分かれずに、にじみ合っている。 だからこのドローイングには、きっぱりした表裏がない。あるのは、行ったり来たりしている動きだけだ。線はどこかを指し示すのではなく、空間の中をうろつきながら、外へ外へと開いていく。 このドローイングを手にしたとき、その人の部屋には、ひとつ余分なリズムが入り込むかもしれない。置かれた場所が少しだけ落ち着かなくなって、でもその落ち着かなさが、いつの間にかその場所の呼吸になっていく。そんなふうにして、空間がひとつ増える。

  • 「手の際のドローイング#2」 下山健太郎

    ¥33,000

    手の際のドローイング#2 2023 糸、紙、キャンバス 29.7×21cm Artist website  http://shimoyamakentaro.com 下山健太郎のドローイングは、「置く」とか「立て掛ける」といった行為そのものが、すでに線の一部になっている。壁に掛ける前から、いや掛けなくても、絵は空間に触れはじめている。床に寄りかかり、壁に寄り添いながら、見る人の身体の近くで、じわっと空気の輪郭を変えていく。 ミシンの上糸と下糸で、表と裏の線の色が違う。ふつう隠れるはずの裏側が、もう一つの表として顔を出してくる。線は描かれるというより、布を貫通して、行って帰ってくる。その往復のあいだに、時間も視点も、少しずつズレながら重なっていく。 ロックミシンの線は、きれいに描こうとしていない。むしろ、歩いている。寄り道したり、少し速くなったり、ふっと揺れたりする、その足取りがそのまま縫い目になっている。身体のリズムがミシンに移り、ミシンの振動がまた身体に返ってくる。線はその往復のあいだに置いていかれた、通過のしるしだ。 藁半紙とキャンバスを何枚も重ねた支持体は、軽いのにどこか鈍く、厚いのにふわっとしている。その中に、線が沈んだり、少し浮いたりする。素材の層というより、時間の層、行為の層が重なっている感じがある。歩くことと縫うこと、身体と機械、表と裏が、ここでははっきり分かれずに、にじみ合っている。 だからこのドローイングには、きっぱりした表裏がない。あるのは、行ったり来たりしている動きだけだ。線はどこかを指し示すのではなく、空間の中をうろつきながら、外へ外へと開いていく。 このドローイングを手にしたとき、その人の部屋には、ひとつ余分なリズムが入り込むかもしれない。置かれた場所が少しだけ落ち着かなくなって、でもその落ち着かなさが、いつの間にかその場所の呼吸になっていく。そんなふうにして、空間がひとつ増える。

  • 「手の際のドローイング#1」 下山健太郎

    ¥23,000

    手の際のドローイング#1 2023 糸、紙、キャンバス 18×16.3cm Artist website  http://shimoyamakentaro.com 下山健太郎のドローイングは、「置く」とか「立て掛ける」といった行為そのものが、すでに線の一部になっている。壁に掛ける前から、いや掛けなくても、絵は空間に触れはじめている。床に寄りかかり、壁に寄り添いながら、見る人の身体の近くで、じわっと空気の輪郭を変えていく。 ミシンの上糸と下糸で、表と裏の線の色が違う。ふつう隠れるはずの裏側が、もう一つの表として顔を出してくる。線は描かれるというより、布を貫通して、行って帰ってくる。その往復のあいだに、時間も視点も、少しずつズレながら重なっていく。 ロックミシンの線は、きれいに描こうとしていない。むしろ、歩いている。寄り道したり、少し速くなったり、ふっと揺れたりする、その足取りがそのまま縫い目になっている。身体のリズムがミシンに移り、ミシンの振動がまた身体に返ってくる。線はその往復のあいだに置いていかれた、通過のしるしだ。 藁半紙とキャンバスを何枚も重ねた支持体は、軽いのにどこか鈍く、厚いのにふわっとしている。その中に、線が沈んだり、少し浮いたりする。素材の層というより、時間の層、行為の層が重なっている感じがある。歩くことと縫うこと、身体と機械、表と裏が、ここでははっきり分かれずに、にじみ合っている。 だからこのドローイングには、きっぱりした表裏がない。あるのは、行ったり来たりしている動きだけだ。線はどこかを指し示すのではなく、空間の中をうろつきながら、外へ外へと開いていく。 このドローイングを手にしたとき、その人の部屋には、ひとつ余分なリズムが入り込むかもしれない。置かれた場所が少しだけ落ち着かなくなって、でもその落ち着かなさが、いつの間にかその場所の呼吸になっていく。そんなふうにして、空間がひとつ増える。

  • 「終わりに、願いはその余剰を見出す」シャーマン・フライシャー

    ¥24,200

    In The End We Always Find Than We Wish 終わりに、願いはその余剰を見出す 制作年 2026 年 素材 ピグメントインク、和紙 プリントサイズ 21×29.7cm エディション 3 額込み Artist website https://shermanfleischer.myportfolio.com 束の間の呼応は、ほんの一瞬しか続かない。人のまなざしのために整えられた切り花は、すでに萎れはじめている。一粒の種は森の地面に落ち、芽吹くかもしれない。竹林には、ひとときだけ道がひらかれる。何世紀にもわたる重なりもまた、同じように儚い。石仏を抱くように育った木も、彫りが風化しきる前に、やがて別の木へと置き換わるだろう。 本作は、共存する時間の層に目を向ける。枯葉は新たな芽を包み、打ち捨てられた枝は、しばし人の視線のもとに置かれる。安定しているように見えるものも、確かなものではない。生成と衰退、刻み込みと包摂、使用と放置、まなざしと無関心が、同じかたちの中に併存している。 人の介入もまた、これらの過程の外部にあるのではなく、その一部となる。写真は一瞬を切り取るが、それぞれの像は移ろいのただ中にある物質をとどめている。固定されたものはない。あらゆるかたちは、ただしばらくのあいだ存在するにすぎない。 ・本作品は額を制作してからの発送となるため、お届けまでに約1ヶ月ほどお時間をいただく場合がございます。あらかじめご了承ください。

  • 「結論は慰めである」シャーマン・フライシャー

    ¥24,200

    Conclusions Are Consolations 結論は慰めである 制作年 2026 年 素材 ピグメントインク、和紙 プリントサイズ 21×29.7cm エディション 3 額込み Artist website https://shermanfleischer.myportfolio.com 束の間の呼応は、ほんの一瞬しか続かない。人のまなざしのために整えられた切り花は、すでに萎れはじめている。一粒の種は森の地面に落ち、芽吹くかもしれない。竹林には、ひとときだけ道がひらかれる。何世紀にもわたる重なりもまた、同じように儚い。石仏を抱くように育った木も、彫りが風化しきる前に、やがて別の木へと置き換わるだろう。 本作は、共存する時間の層に目を向ける。枯葉は新たな芽を包み、打ち捨てられた枝は、しばし人の視線のもとに置かれる。安定しているように見えるものも、確かなものではない。生成と衰退、刻み込みと包摂、使用と放置、まなざしと無関心が、同じかたちの中に併存している。 人の介入もまた、これらの過程の外部にあるのではなく、その一部となる。写真は一瞬を切り取るが、それぞれの像は移ろいのただ中にある物質をとどめている。固定されたものはない。あらゆるかたちは、ただしばらくのあいだ存在するにすぎない。 ・本作品は額を制作してからの発送となるため、お届けまでに約1ヶ月ほどお時間をいただく場合がございます。あらかじめご了承ください。

  • 「全ての音楽はセイレーンの歌である」シャーマン・フライシャー

    ¥19,800

    All Music Is Sirens’Music 全ての音楽はセイレーンの歌である 制作年 2026 年 素材 ピグメントインク、和紙 プリントサイズ 21×27cm エディション 3 額込み Artist website https://shermanfleischer.myportfolio.com 束の間の呼応は、ほんの一瞬しか続かない。人のまなざしのために整えられた切り花は、すでに萎れはじめている。一粒の種は森の地面に落ち、芽吹くかもしれない。竹林には、ひとときだけ道がひらかれる。何世紀にもわたる重なりもまた、同じように儚い。石仏を抱くように育った木も、彫りが風化しきる前に、やがて別の木へと置き換わるだろう。 本作は、共存する時間の層に目を向ける。枯葉は新たな芽を包み、打ち捨てられた枝は、しばし人の視線のもとに置かれる。安定しているように見えるものも、確かなものではない。生成と衰退、刻み込みと包摂、使用と放置、まなざしと無関心が、同じかたちの中に併存している。 人の介入もまた、これらの過程の外部にあるのではなく、その一部となる。写真は一瞬を切り取るが、それぞれの像は移ろいのただ中にある物質をとどめている。固定されたものはない。あらゆるかたちは、ただしばらくのあいだ存在するにすぎない。 ・本作品は額を制作してからの発送となるため、お届けまでに約1ヶ月ほどお時間をいただく場合がございます。あらかじめご了承ください。

  • 「この屈託のない無関心」シャーマン・フライシャー

    ¥19,800

    This Blithe Indifference この屈託のない無関心 制作年 2026 年 素材 ピグメントインク、和紙 プリントサイズ 21×27cm エディション 3 Artist website https://shermanfleischer.myportfolio.com 束の間の呼応は、ほんの一瞬しか続かない。人のまなざしのために整えられた切り花は、すでに萎れ はじめている。一粒の種は森の地面に落ち、芽吹くかもしれない。竹林には、ひとときだけ道がひら かれる。何世紀にもわたる重なりもまた、同じように儚い。石仏を抱くように育った木も、彫りが 風化しきる前に、やがて別の木へと置き換わるだろう。 本作は、共存する時間の層に目を向ける。枯葉は新たな芽を包み、打ち捨てられた枝は、しばし人の 視線のもとに置かれる。安定しているように見えるものも、確かなものではない。生成と衰退、刻み 込みと包摂、使用と放置、まなざしと無関心が、同じかたちの中に併存している。 人の介入もまた、これらの過程の外部にあるのではなく、その一部となる。写真は一瞬を切り取るが、 それぞれの像は移ろいのただ中にある物質をとどめている。固定されたものはない。あらゆるかたちは、 ただしばらくのあいだ存在するにすぎない。 ・本作品は額を制作してからの発送となるため、お届けまでに約1ヶ月ほどお時間をいただく場合がございます。あらかじめご了承ください。

  • 「適等」塩川梨花

    ¥77,000

    適等 2026 鉄、ツールボックス/iron, toolbox 「逍遙シリーズ」は朽ちた道具箱を器に植物の侵食を人工的に表現した様子。よくモチーフに使う廃墟、建物を器に人工物が植物に侵食されていく様子と共通性を持たせている。また、植木も鉢を器に人に育てられた植物であり人工的要素を感じる。 この3つの共通性を重ね合わせ、人工的に作られた植物=人の手がなければ作られない植物=植物の途中として表現している。 *時間の経過とともに現れる錆の風合いと、鉄の質感や色味のコントラストをお楽しみください

  • 「箱」塩川梨花

    ¥13,200

    箱 / Hako 2025 鉄/iron 265×60×115 「逍遙シリーズ」は朽ちた道具箱を器に植物の侵食を人工的に表現した様子。よくモチーフに使う廃墟、建物を器に人工物が植物に侵食されていく様子と共通性を持たせている。また、植木も鉢を器に人に育てられた植物であり人工的要素を感じる。 この3つの共通性を重ね合わせ、人工的に作られた植物=人の手がなければ作られない植物=植物の途中として表現している。 *時間の経過とともに現れる錆の風合いと、鉄の質感や色味のコントラストをお楽しみください

  • 「小さなマンモス団地」塩川梨花

    ¥8,800

    SOLD OUT

    小さなマンモス団地 2026 鉄/iron 集合しても解散しても重なってもマンモス団地 本来の団地とは、人が入居しては離れ、その度に様々な顔を見せます 小さいマンモス団地は旅をします 様々な場所で形を変えます *時間の経過とともに現れる錆の風合いと、鉄の質感や色味のコントラストをお楽しみください

  • 「鍵をなくしただけなんです。」塩川梨花

    ¥3,300

    SOLD OUT

    鍵をなくしただけなんです。 2026 鉄/iron 鍵を無くしました 家と会社全ての鍵を無くしました 鍵が見つかる夢を見るほどに鍵のことを考えない日はありません そして鍵への思いは念となり、物理的に物質として形を持ちました *時間の経過とともに現れる錆の風合いと、鉄の質感や色味のコントラストをお楽しみください

  • 「仮置き」谭锦宁

    ¥77,000

    仮置き ガラス 石 120×80×75mm 2025 ガラスの各面には凹みがあり、石のある一点と対応することで、それぞれの面において異なるかたちで安定して配置することができる。 それぞれの接触は、その都度ひとつのかたちとして成立するが、同時に複数の状態が成り立つことはない。
そのため、どの位置も決定的なものとはならず、関係は常に仮の状態として保たれるだろう。 固定された配置や唯一の正解は存在せず、複数の関係が成立する。

  • 「仮置き」谭锦宁

    ¥66,000

    仮置き ガラス 石 90×70×70mm 2025 ガラスの各面には凹みがあり、石のある一点と対応することで、それぞれの面において異なるかたちで安定して配置することができる。 それぞれの接触は、その都度ひとつのかたちとして成立するが、同時に複数の状態が成り立つことはない。
そのため、どの位置も決定的なものとはならず、関係は常に仮の状態として保たれるだろう。 固定された配置や唯一の正解は存在せず、複数の関係が成立する。

  • 「転位」谭锦宁

    ¥35,200

    転位 ガラス 石 130×70×155mm 2025 路傍の至る所に見られる石が展示品となり、工芸品としてよく使われるガラスはそれらを展示するための展示台になる。普段の位置が変わることで、二つの材料に対する理解も変わるだろう。影は通常、重力を判断する重要な要素であり、ガラスが光を吸収すると、石の影が柔らかくなり、石自体も重い印象から離れ、少し軽やかになるだろう。

  • 「転位」谭锦宁

    ¥13,200

    SOLD OUT

    転位 ガラス 石 60×50×60mm 2025 路傍の至る所に見られる石が展示品となり、工芸品としてよく使われるガラスはそれらを展示するための展示台になる。普段の位置が変わることで、二つの材料に対する理解も変わるだろう。影は通常、重力を判断する重要な要素であり、ガラスが光を吸収すると、石の影が柔らかくなり、石自体も重い印象から離れ、少し軽やかになるだろう。

  • 「転位」谭锦宁

    ¥16,500

    転位 ガラス 石 70×45×72mm 2025 路傍の至る所に見られる石が展示品となり、工芸品としてよく使われるガラスはそれらを展示するための展示台になる。普段の位置が変わることで、二つの材料に対する理解も変わるだろう。影は通常、重力を判断する重要な要素であり、ガラスが光を吸収すると、石の影が柔らかくなり、石自体も重い印象から離れ、少し軽やかになるだろう。

  • 「石露」谭锦宁

    ¥7,700

    石露 ガラス 石 80×80×50mm 2026 ¥7,700 石の成分を調べることで、石がどこを通り、どんな風雨にさらされてきたかを知ることができる。ガラスを石の形に磨き、石と一緒に 成し、石に含まれる水分が高温で蒸発し、その後ガラスの中に閉じ込められる。これにより、石の記憶が可視化される。また、ガラスが石の失われた記憶を保存し、さらに同じ形を持つことで、両者の境界は曖昧になっていく。

  • 「転位」谭锦宁

    ¥16,000

    SOLD OUT

    転位 ガラス 石 2024 路傍の至る所に見られる石が展示品となり、工芸品としてよく使われるガラスはそれらを展示するための展示台になる。普段の位置が変わることで、二つの材料に対する理解も変わるだろう。影は通常、重力を判断する重要な要素であり、ガラスが光を吸収すると、石の影が柔らかくなり、石自体も重い印象から離れ、少し軽やかになるだろう。

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